第七話 運命の渦へ


 異臭。あえて言うならその言葉が適していた。しかしこれは臭気じゃない。不気味な気流が肌を突き破って痛覚をじわじわと刺激するような、気持ち悪さ。
 どうやら前を歩いていた二人も気付いたらしく、立ち止まる。締められているはずの扉も開け放たれており、冷たい陽光が差し込んできていた。
 目の前にあるもの、それは異様な光景だった。階段の途中に倒れている国王様と全く同じ容姿の人物。外傷などはなく、眠るように倒れている。呼吸をしている様子もなくその姿はまさに遺体、おぞましい負の気流を回りに漂わせていた。霊泉に近いため何とか気を保っていられるのが救いらしい。
「これはゼフテ……何故ここに?」
 私たちに気づいたのか、アズールさんが中に入ってきた。
「突然現れ、中に入っていった。手出しできないため様子を伺っていたが、急に倒れて動かなくなった」
「ふうむ、何なんでしょうね? デグラマリアが何なのか分かりませんから処理に困るなぁ……」
 そう言いながらイライアスは倒れているゼフテを仰向けに寝かせ、その体を調べ始めた。
 何をしに一人でこんなところに現れたのか。変だ。
 確かに先ほどお会いした国王様と鏡映しかと思うほど同じ顔立ちをしている。しかし纏う気が違いすぎる。どうしたらここまで違いが出るのかと思わされるほどだった。
「そもそも動くとは言え、これが命ある生命体とは限らないわけですし、鼓動や脈で生死を判断するのは難しいです。これが普通の生き物であるなら、死んでいます」
「呼吸も脈もなければ死亡として扱われるでしょう。どうしますか? 厄介なのは見た目です」
「プロトって奴が戻ってこなければ、国王様外に出られるんじゃ」
「まずはこのゼフテをどうするかですね、検死解剖したいので体はとっておきましょう。ですがこの負力、とりあえず消して起きますか」
 負力を消すことができるのか、それはいい。ずっとこの気持ち悪い状態も勘弁して欲しい。一刻も早く!
 浄化といえばこの三人はその道の人だという話だ。結局何者なんだろう?
 様子を伺っていると聞いたこともない言葉をメロディに合わせて口ずさみ、祈るように目を閉じた。涼やかな空気が辺りに満ち、よどんだ気流を薄めていく。これが、浄化術。 儀術とは違う物なんだろうけど、言葉を発して術を発生させるところは同じのようだ。ただ言葉は違っている。
 何も分からない自分は三人を見守るしかなかった。
 動かないゼフテ、続けられる祈りの詩。
「ふう、ちょっと時間がかかりました。一応ほんのわずかにだけ負力の残滓を残してありますが、ほぼ影響はないはずです。さてこれをどこにしまっておくか、ここにおきっぱなしが一番誰もこないとは思うんですが……できればアカデミアの間に解剖を行いかな」
「とは言えこれ、国王様にそっくりすぎて、その、やばいんじゃ」
「本来のイフレース様とはかけ離れた姿にすればいいんですよ」
 かけ離れた姿? 思いつかずにただの人形となったゼフテを見つめていると、イライアスが突然服を脱がせ始めた。 何て事を!
「幸いイフレース様は女性として国民に認識されていないそうで、だから女王と呼ばれないとお伺いしています。このように大きなおっぱいを見せて髪を切って、顔に化粧を施した上で大きめの布をかけていれば、分からないでしょう」
「そんなのでいいの?」
 衣服の間からはみ出した胸は、なかなか豊満なものだった。あの普段のお姿からは想像もできない。ちょっとドキッとした。
「まさか女性と思われていない人物にこんな大きなおっぱいがあるわけないじゃないですか、誰も思いませんって!」
「私とマーレットでイフレース様をお連れする」
「お願いします、おそらくイフレース様も何らかの変化を感じていらっしゃるはずです」
 長い階段の闇の奥に、うっすらとした明かりとともにマーレットとアズールさんが姿を消した。
「イリア……じゃなくてイライアス?」
「はい、そっちが本名です。イリアという名前は仮のものです」
「その、言いにくいんだけど、何ていうか……」
「お察しします、突然のことで気持ちも落ち着かないでしょう」
「う、うん、その通り、だよ」
 ただのアカデミアのお手伝いのはずが、おかしなことになった。とりあえずイライアスたちの言いなりになっていればきっと何とかなるんだろう。でも、何故自分なのか、いくらデグラードが効かないと言っても他に適任はいたんじゃないだろうか?
「正直な話、僕たちもこれまでにないパターンでしたから、それなりには苦戦しています。ですが組織として任務を遂行しないわけには行きませんし、そもそも失敗するつもりもありませんけれど。何とかなりますよ、いいえしてみせます」
 イライアスは荷物から化粧品らしきものを取り出すと、ゼフテの顔を整え始めた。手際のよさと、そのようなものを持ち歩いていることに驚かされる。伊達に可愛らしい見た目ではないと思わされた。
「こうして、こうして、こうすればほら、結構別人に見えませんか?」
「た、たしかに」
 ちょっと粉や液体を塗るだけでこんなに顔が変わるとは、もしやイライアスもすっぴんは別人なんじゃないかという思いがふとよぎる。ちらっとその横顔を見たけど残念ながら判別はつかなかった。
 化粧もずいぶん進んだ頃、階段の奥から薄明かりと三つの足音が響いてきた。振り返ると二人の肩にもたれながらこちらに向かってくる国王様の姿が見える。
「イフレース様、お具合はいかがですか? これがゼフテです。ある程度浄化術を施しているため平気かと思われます」
「完全とは言えないが。体調は急に楽になった。しかしこのゼフテと呼ばれるにせもの、若干……化粧で顔が違うものの、ほとんど私と同じではないか」
「先ほど戻っていたところここに倒れていまして、急展開です。後ほど実験室で分析を行います、今チャンスを逃したら実験室そのものが使えませんから、あらかじめ強引に行う必要がありますね」
「メリル、イフレース様をお部屋までお連れできますか?」
「え!?」
 突如マーレにそう言われビクッとする。
「確かメリルはラーシャさまと仲が良かったはずなので、私たちより適任かと思います」
 思わずラーシャがさま付けで呼ばれていることに吹きそうになったが堪える。ある意味当然なんだけどすごく違和感がある。
「さすがに一人で歩いているのは不審だろう、頼む」
「は、はい、自分でよければ!」
「僕とアズールさんはゼフテを一時的に倉庫に移動させます。マーレットちゃんは侍女たちの様子を伺いつつ、アカデミアの準備をお願いします」
 イライアスの指示に従い、それぞれ別れる私たち。
 ひとまず自分は国王様のお手をとり、ゆっくりと歩き始めた。ひんやりとした手先だった。
 侍女になってほとんど日も過ぎてないと伝えると、城内を国王様に案内された。そろそろと静かに歩く。とりあえずのところ、ラーシャのいる部屋へと向かった。
 お城の二階にあるいくつもある部屋のうちの一つの扉をノックすると、いつもどおりの澄んだ声が返ってくる。扉が開き、中から朝を感じさせない姿のラーシャが姿を現した。
「何であんたがこの時間にこんなところまで来てるのよ! おとなしくアカデミアのお手伝いだけやってなさい」
 普段ならうるさいと言い返すところだけど、今はそんなことを言える状態じゃない。
「そこ一人部屋? 頼むから中に入れて、お願い、今度大好物のアレ奢るから、なんだっけ、何ちゃらのクレープ」
「うっ! 仕方ないわね、全く朝っぱらからなんなのよ、それに何ちゃらじゃなくてマリオンよ!」
 マリオンのクレープってのは市に出るクレープ屋さんで、今となってはお城つとめのラーシャじゃ滅多に食べられない貴重なお菓子になってしまったもの。生徒時代は馴染みの味だった。
 扉を押し開けたラーシャは驚いた顔のまま絶句した。
「……国王様、何故こちらに!? お食事の時間まで間もなくでございます」
「食欲はないからいい、少し話したいことがある」
「そうおっしゃるのでしたら」
 驚いたラーシャは国王様を部屋に招き入れた。
「そのお召し物、確か少し前にどこに消えたかと侍者と話していたもの……よかった、気に入られていたものでしたからどうしたものかと思っておりました」
 それなりの日数、身を隠されていたのだから、それは当然だろう。成り行きを知らないラーシャらしい発言だと思えた。
「お話したいこととは何でございましょう?」
 部屋のテーブルに案内される。ラーシャはそのままお茶を準備し始めた。なかなか設備の整ったいい部屋だ。
「ここ数日城内で変わったことはなかったか? 二十日ほど」
「えっと……相変わらずあの火事の件が捜査難航であるせいか、あまり騒がれなくなってきたこと、雨の被害に関してあまり積極的に動く者がいないこと、アカデミアだけは例年通り賑わっていること、それとあとは……非常に個人的なことですが、最近国王様お食事をお摂りにならないことが、私としては気になっておりました。お医者様すら大丈夫心配はないとおっしゃるもので、一人気にしすぎかとも」
 それはゼフテであって本物の国王様じゃないからだと、一人心の中でラーシャの問いに答える。
 ソファの座り心地、ふわふわだ。家にあるものとはぜんぜん違う。手触りが良くてなでていると、テーブルにお茶が置かれた。
 突然現状がどうなっているかもよくわからないまま戻ってきた国王様。どうなさるのだろうか。
「寝ぼけてしまってはっきり思い出せないのだが、今日の予定を教えてくれないか?」
「今日はこのあとお食事があって、そのあと少し間をおいたらアカデミアの三日目が開催されます。最終日ですのでこれといった面会などのご予定もなく、閉会のご挨拶がございます。それからは城内で会食会があります。以上です」
「ありがとう。今日は飲み物だけでいい、体調も優れないから会食の予定も申し訳ないが私は不参加とする」
「かしこまりました、そのように伝えておきます」
「ラーシャは食事に向かうといい、私はこのあと準備をしてアカデミアに向かおう」
「お具合はよろしいのですか?」
 問題ない、そういって国王様はティーカップを傾けた。
「メリル、あなたそろそろ戻らなくていいの? 国王様は私に任せて」
「あ、そうだった。結構時間たったんだな、では私はこれで詰所に戻ります」
「付き添いありがとうメリル、またあとで」
「はい! では失礼します」
 何だか緊張してお茶を飲むタイミングをとれなかった。高級そうなお茶だったのに、ちょっぴり残念。
 時計を見たら時間ぎりぎりだ。急いで戻ろう。

 何とか今朝の準備にも間に合い、三日目のアカデミアの流れを給仕所から飲み物を運びながら見守る。
 たしかに例年通りの盛り上がりだ。参加者には国外から来ている人もいるから、ここ最近のルイアスの事情なんか知らない人も多いだろう。
 仕事が主体での参加のため、発表される研究などには多く触れることはできなかったものの、違う視点からこの祭礼を見ることができたのは面白かった。

 昼下がりになり、今日は別の場所に配置されていたマーレが小走りでこちらに向かってきた。
「メリル、休憩です」
 それだけ言うと強引に腕をつかまれ持ち場から離れることに。一緒にいた他の侍女たちに悪い、と手を振るとマーレに振り返った。
「これまた突然な」
「発表が始まるんです、走らないと間に合いません」
「ああ、それは急がないと」
 話している暇はない。二人で実験室へと走る。多くの人を掻き分け、ひたすら走った。
 王城の隣の区画にある王立研究所側の学術施設群にある、実験室。そこは通常の実験室とは違い、公開実験を行うための広い部屋だった。すごく人ごみができている。マーレの話ではこれからイライアスの公開実験が始まるらしい。ついにか。
 侍女である私たちは裏口から入り、実験室の準備室から様子を伺うことになった。
 実験室を覗き込むと、メイド服とは違った白い神秘的な衣装をまとったイライアスが壇上に立ち、その目下に横たわる国王様の偽者であるゼフテに左手を乗せていた。
「お集まりいただきありがとうございます、ウェルシュレインから参りました、お招き感謝いたします。ホムンクルスの開発を行っている呪術研究所員のヘレナ・ドゥーガルと申します。よろしくお願いします」
 実験室に鳴り響く拍手。じっと見守る。
「あれイライアスなの? 何か雰囲気違う」
「はい、本来のヘレナ氏はそこの台の影で、術で意識を失って眠っています」
「手荒だね」
「自覚しております……」
 確かにあの台の向こうから人の寝息が聞こえる。ちょっと驚いた。
 ヘレナさんのふりをしたイライアスは、背後から見る分は分からないけれど、身なりからして重装備だ。頭からすっぽりとかぶった布から察するに、おそらく顔を隠している。
「本日最新のホムンクルスの出来を皆様にお披露目したくてつれてきたのですが、急に動かなくなってしまい、困っています。申し訳ありませんが、私どもの実験研究がまだいたらなかったということでしょう」
 そんなことを言いながら、眠ったように横たわるゼフテを見下ろし持っているノートに筆を走らせていた。台の上にはさまざまな試薬と思われるものが並んでおり、適当にごまかしながら分析をし、発表している。しかしその準備していた発表内容は突然の原因不明の不手際で無駄になったという話らしい。
「せっかくお時間をいただいて集まっていただいたのに、皆さんにも、アカデミア主催のルイアス国王イフレース様にも皆様にも申し訳ありません。私はこのままここで少し時間が終わるまで問題を探らせていただこうと思います。これといった発表はございませんので、ご期待していただいた皆様には申し訳ありませんが、立ち去っていただいても結構です」
 そういうとほとんどの聴衆がわらわらと実験室から退出していった。
 ホムンクルスの研究はウェルシュレインでは活発に行われているけれど、擬似的な生命を作り出すことに対して善しとしない風潮のあるルイアスでは、あまり歓迎されていないことはこれまでのアカデミア参加の経験から分かっていた。毎年必ず発表は行われているけれど、そこまでは盛り上がらない。それに今年はこんな流れを作り上げてしまっている。仕方ないとはいえ、ウェルシュレインの研究者たちには申し訳ない気もする。
 わずかに残った聴衆は、黙ってゼフテの身体を調査するヘレナと名乗ったイライアスの様子を真剣に見ている。イライアスは何もしゃべらずひたすら器具を扱い、時に不思議な気流を当たりに漂わせながら何かを書き取っていた。
 それから数十分後、イライアスはこれにて終了です、と告げた。残っていたわずかな聴衆たちも席を立つ。
 いつの間にか現れていたアズールさんが横たわっているゼフテを抱えあげると、準備室に運んできた。イライアスもついてくる。
「まいりましたね、術などの痕跡を調べてみたんですが、見つけたんです、でも解析不可能でした。分かっていることはこれまでどおりものすごい負力を内包していたことと、それに加えどうやって作られたかは未だに分からないと言うことです。デグラード、謎過ぎでしょう。そもそも雨なんかに使われた術式網も解読できていないし、やはりフィネリキーアを待つしかないんでしょうかね……」
 イライアスは残念そうな顔をすると、頭にかぶっていた布を剥ぎ取った。
「この人形、どうしましょうか? どなたか知らないけれど持ち主が探している可能性も否めません。その持ち主は間違いなく、僕たちの敵」
「下手にかくまってたら危険かもしれません」
「それにイフレース様は今本物ですから、イフレース様と持ち主が遭遇したらイフレース様にも危険が及ぶ可能性があります」
「多少強引だが、別の適当な服を着せて倒れていたと、救護室で寝かせておくことにしよう」
 じゃあこれを、とイライアスが着ていた服を脱ぎ、アズールさんとともにゼフテに着せた。確かにこれならあまり違和感がないかもしれない。問題は呼吸も脈もないということなんだけどそこは大丈夫なんだろうか?
「では私はゼフテを救護室に運び、面倒を見る。近侍の仕事は今は見回りだから問題ない」
「じゃあ僕たちは一応持ち場に戻ります、任せました。引き取り手がきたら顔と名前を覚えておいてください」
「了解」
 元のメイド服に着替えたイライアスを先頭に、実験室を出る。
 放ったらかしのヘレナさんはいいんだろうか?

 それから数時間、無事に三日にわたるアカデミアは盛況のうちに幕を閉じた。
 なかなか忙しく、結構体力を消耗した。それにいろんなことがありすぎて、なかなか落ち着かない。
 すべての仕事を終えて宿舎に戻り、ベッドにもぐりこんであったことを思い出そうとしたけれど、あっという間に眠りに落ちてしまった。

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