第八話 脈動する光


 静けさの戻った王城。
 普段の城内を知らないから比較はできないが、アカデミアのあとだから非常に静かに感じられる。祭礼は終わってしまった、少し寂しさを感じた。
 ラーシャとの再会をきっかけに突然侍女に。初任務のアカデミアも終え、これから新しい平凡な生活が始まるのだろうか?  残念ながら、記憶ではそうはいかないはずなんだけど。
 朝の支度を終えた私に課せられた仕事は、お城の外回りの掃除だった。庭木の剪定や大掛かりな作業は近侍の人たちがやるらしく、自分たちがやるのは花壇の手入れらしい。
 もちろんマーレも一緒。知り合いみたいだから、と一緒に仕事をさせてもらえる事になった。
 二人で朝の日差しを浴びながら、ちょこちょこと生えた雑草を引っこ抜いては麻袋に入れる。
 それを繰り返していると、二つの足音が近づいてきた。イライアスとアズールさんだ。
「おはようございます、二人とも。アズールさんが話があるというので」
「悪いが、昨日アカデミアが終わってもゼフテを引き取りにくるものはいなく、そろそろ片付けるのでといわれ侍女に退散するように言われ、今朝救護室だった部屋を見に行ったらすでにそこはいつもの状態に戻っていた」
「アカデミア用に準備されていた救護室ですから、引き取り手が来なかった場合のことを考えていなかったのは盲点でしたね。そもそもゼフテの持ち主が救護室にそれがいるとも思いもしなかったでしょう。ちなみに僕が付回された気配もありませんでした」
「ゼフテは見た目は女性だから、あとは任せろと侍女たちに追い出されてしまった。うかつだった。数もそれなりにいたが故、誰が怪しいなどとははっきりと分からない」
「それにゼフテは外から見れば遺体です。それなら今朝救護室で死人が出た、アカデミアで死者だー! って騒ぎになっていてもおかしくないはずですよね」
「そんな話、詰所でも聞かなかったよね? 話題にすらなってなかった」
「はい、とても普通の至って平和な朝でした」
 結局のところ、ゼフテがどうなったかは現時点では分からないらしい。どこに消えたんだろう? 救護室が役目を終えた後に持ち主が回収して行った、口にこそ出さないもののきっとみんなそう思っているに違いない。
 それだけ告げると、二人は引き続き調査してきます、とだけ言って去っていった。
 私はマーレと二人で草取りをしているだけでいいんだろうか?
 まだ分からないことが多すぎてなすがままな現状を感じさせられた。

 詰所で昼食後のひとときを過ごしていると、近侍とは思えない男性が部屋に現れた。もっと位の高い従者かな?
「メリルさん、ラーシャ様がお呼びです、えーっと」
 名を呼ばれ驚く。ラーシャが私に何のようなんだろう、それも使いをよこすなんて。
「お仕事についてお話したいことがあるそうです。第一階玄関大広間の脇の個室にいるとのことです」
「なんだろう、ありがとうございます、向かいます」
 使いとともに部屋を出て、あちらですと案内されて小走りで向かう。使いはぺこりと一礼して去っていった。
 王城の一階の広間の奥に、四人程度で使用する小さな談話室がいくつか並んでいる。未使用の場合は扉を開けておく仕組みらしく、そのうちの一つにラーシャはいると聞いたので、閉まった扉のひとつをノックしてみた。
 中からラーシャのあまり元気のなさそうな声が返ってくる。
「わざわざ使いをよこしてまで呼び出すって何?」
「あまり私が詰所に行くのもよくないかなと思ったのよ。せっかく仲良かったあんたがお城に来たんだから、ちょっと愚痴の一つや二つ聞いてもらえないかしらって思ってここよ」
「すごく高級そうな愚痴の予感。仕事の話ってこっちのじゃなくてそっちのね」
「馬鹿にしないで! ……高級なんてものじゃないわよ」
 そう言い放ったラーシャは上品に椅子に身を沈めた。
「ねえ、私おかしいと思ったの」
「何が?」
 ラーシャは神妙な面持ちだ。あまり見ない表情だから、すごく気になって仕方がない。
「今朝になって急に思い出したのよ。言ってたでしょ? 国王様、突然海外に向かって不在のままアカデミアが開催されるって、最初に。私そんなことをあなたに伝えた気がするの」
「確かに聞いた、そうだった」
「なのに、国王様はアカデミアの初日から普通に王城にいて、挨拶して、二日目もいらっしゃったでしょう? そして三日目に私の部屋にあなたと一緒にお越しになって、今朝もいらっしゃる。だから、海外視察ってなんだったのかしら、って。私、お見送りしたんだけどなぁ、他の周りの人に聞いてもそんなことはなかったって、寝ぼけてるって言われて……」
「つまり国王様が海外に行ったっていうことを知っているのはラーシャと私だけってこと?」
「私の思い違いらしいからそうなるわね。夢にしてはリアルすぎたわ」
 どういうことなんだろうか? 私はラーシャからその話を聞いただけだから、嘘の話だとして聞かされたのなら嘘だった、で済む。しかしラーシャはお見送りまでしたというのだから、嘘ではない。しかし周り曰くそんなことはなかったと。
「国王様はお元気なの?」
「今朝は別人のようにもりもりと食事なさってたわ。昨日一切お食事をされていなかったから心配してたんだけど」
 頭を抱えてうなるラーシャ。この姿は試験前や研究中にたまに見かけていた。
「それもだけど、今朝の会議で決まったことがあるの。火事と雨の捜査が中止になったわ。あまりにも手がかりがなくて調べようがないからって。あれ以来国の雰囲気、どことなくおかしいじゃない? それなのに放置するなんて。またこれも他に言うと、気にし過ぎって言われそうで黙ってる」
「とても自分には縁のない高次元の悩みに感じるなあ」
「それまであまり悩まされることもなかったのに、ここ最近もう気になることばっかりでいろいろたまってて、しんどいったらありゃしないわ。ちょうどいい、あんたがお城にいるから時々聞いてもらうことにしようっと」
 そう言い放つとラーシャは大きなあくびをした。眠れてないんだろうか。
 何だろう、やっぱりルイアスはおかしくなっている。これが元通りになるかがイライアスたちに、そして私に関わっているんだっけ。ラーシャはこのことを知らない。まさかこんなことに私が巻き込まれてるなんて思わないだろうな。
「あともう一つ、すごく……」
 それだけ言って口をつぐまれる。もっと何か気にかかることがあるっていうの? 恐ろしいなあ。
 なかなかしゃべろうとしないラーシャ、変な緊張感がお互いの間に生まれる。
「国王様、急にどうなされたのかしら? もともと小食なのは知ってたわよ。大食いになって、すごく驚いた」
 喉から押し殺すような声で少しずつ言葉を搾り出す。
「なあ、言いたいことって、それじゃないんじゃ」
 そういった瞬間彼女の強気だった瞳から、急に涙が溢れ出した。
「え、ちょっと待った、ラーシャ!?」
「むかつく、何で察しがいいの! 国王様……今朝……国政会議で、陰で反国王派って言われている人たちが出した改憲案をひとつ返事で通しちゃったの……それ、何だと思う?」
「そこら辺はさすがに庶民には想像つかないよ」
「絶対聞いたらびっくりする。もうきっぱり言うけど、対人儀術使用・および術殺が特別な重罪にならなくなる。これまでだと儀術で他人を傷つけることは一般的な傷害や殺人より重い罪だったでしょ? それが普通の罪と変わらなくなる、それに加えて術を対人使用すること自体、それが受けた側が訴えない限り罪にあたらないことになったの。そう、これで全部よ」
 苦しい声だった。こっちまで胸が締め付けられた。ラーシャはハンカチで涙をぬぐうと、髪をかき分けた。
「しかもこの改憲案は来月からよ。急すぎてもう何が何だか……」
「つまりこのタイミングで私に話しても別に早すぎることじゃないんだ」
「明日には新聞で広まると思う。はぁ……」
 脳裏をよぎる事件とデグラード、イライアスたちの言う言葉と国王様の発言。
「その、確信はないんだけど、大丈夫だよ、何とかなる。また何か話したいことあったら聞くから呼んでよ」
「あんたさ、前もそう言って何でも解決してきたよね? 信じたくなっちゃうじゃない、馬鹿」
 信じてなんていえないけど、ちゃんとルイアスを元通りにしなくちゃいけないんだ。何ができるかなんて分からない、でもやれることはやりたい。たとえ微力でも、これ以上ルイアスをおかしくしたくないし、ラーシャを苦しませたくもない。それに、もしこの負の連鎖が広まっていくと、自分の家族も友達も、みんなが危険なんだから。
 負力の存在。それまでに知らなかった世界の概念。
 とはいえやっぱり不安だ、どうしようもない先行きの不透明さが思考の暗闇となって自分に襲い掛かってくる。
 だめだ、よくない考えはやめよう。
「まあ、そういう話だから。一応他言無用よ」
「こんな個室で話しておいて、それは守る」
 とはいえさすがにこの件についてはあとから出来るだけ早めにイライアスたちに話すつもりだ。さすがに放置しておけない。
「急に呼び出して悪かったわね、本当ならくだらない話して遊んだりしたかったのに、私も疲れてるなぁ」
「仕方ないよ、元気だそ?」
「そうするわ」
 ラーシャは最後にありがとうといって、部屋を去っていった。柔らかい香水の香りがわずかに部屋に残っている。
 私も午後の仕事があるので、とりあえず詰所に戻った。
 何だろう、やっぱりルイアスはおかしくなっている。一刻も早く何とかできないんだろうか?
 午後の仕事は引き続き、マーレと花壇の手入れだった。
 草取りはアカデミアの仕事に比べれば楽だった。

 今夜はイライアスに呼び出されることもなく、静かに一日が終わりそうだった。 普段どこにいるか分からないため、改憲案の事を伝えられずに終わってしまった。
 寝る時間になってそれなりに経つのに、昼間のラーシャの姿と声が頭の中で延々と繰り返されて、とても眠れる状態とはいえない。
 みんなもう眠ってしまったのか、同室のみんなはすっかり寝息をたてていた。
 だめだ、眠れない。明日の仕事に差し支えるだろうなと気が重くなる。
 仕方ないので散歩をすることにした。

 宿舎の端の砂浜、ここは海が近い。王城からすっかり離れたその場所を、ゆっくりと砂を踏みながら歩く。
 歩いていると王城の裏側にある、海に直接つながった細い水路に到達した。
 幾重にも重なる静かな水路の流れの音と、遠くから聞こえる波の音。
 それにまぎれる人の声。
 うめき声だった。
 よく見ると、川の行き止まりの花壇の広場に、人影が見える。五人?  何だろう、早速事件なんだろうか、今一人だというのについていない。急にあの恐ろしい記憶がよみがえってきた。
 ここにいてはいずればれる、そう思い建物の影に身を隠した。
 聞いたことのない言葉で交わされる会話。外国の夜盗たちだろうか?
 じっとしていると、不気味な気流が流れてきた。気持ちが悪い。これは負力?
 デグラードという言葉が記憶の海から浮上してきたとき、その思考は強制的に遮断された。
「覗きか?」
 驚いて振り返ると、あの火事の晩に見かけた真っ黒いマントの男がいる。
 痛い。強引に口を押さえられがっしりと捕まえられ、あの広場に連れて行かれているらしい。男は大柄で身じろぎしてもびくともしない。
 とんでもないことになった。私はどうなるんだろうか?  ここまできて、今度こそ殺される?
「ちょうどよかった、お前も土偶になっとけ」
 もがいて声を出そうにも、しっかりと口を押さえられているために無理だった。軽々と抱え上げられ行き着いた広場にいる姿に、気を失いそうになった。
 国王様と、見覚えのない男、倒れていく兵士たち。そしてあたりに漂う濃厚な腐ったような闇の気配。
 石畳の上に転がされる。すぐさま起き上がろうとしたけれど、若干力を込めてたたきつけられたため、身体に力が入らなかった。
「そこの物陰に何か潜んでやがったので連れてきましたよ」
「子供じゃないか。体力的には老人より役に立つだろう」
「国王様、何故ここに!」
 分かってる、これが国王様のにせものだと。だからわざと発破かけてみた。この気持ち悪さ、本物のはずがない。私には分かる。
 にせものは冷徹な笑みを浮かべただけで何も言わなかった。
 しかし偽者がここにいるということは、本物はどうなさっているんだろう?
 何とか立ち上がろうとすると、部屋着の首根っこを引っ張り持ち上げられた。あまりの苦しさに変な声が出る。それと同時に身体が異変を感じた。周囲に不快でたまらない気流が集まってくる。これが、あの、デグラードと言われる謎の儀術?
 だとしたら私にはそれが効かないから、おそらく怖くはない。イライアスたちの言葉を信じよう。
 あくまで気づいてないふりだ。
「国王様、あの時おっしゃった言葉はなんだったんですか!?」
 詠唱をさえぎるように大声を出し、にせものに声をかける。内容は何だっていい、ただ話しかけるだけ。
「おっしゃってくださったじゃないですか、自分のような者に、あんなことを……」
 しかし誰も反応しない。無駄なことなのだろうか。
 それに、どんどん気持ち悪さが意識を浸食して来た。いっそデグラードが効かないのであれば、この気持ち悪さも無視できればいいのに。
 べっとりとした汗がふき出し、こめかみを伝って流れていく。
 聞いたことのない言葉だ、これがきっとデグラードの霊素言語。ルイアスで使われている儀術のものとはまったく違う。
 しかしそれに意識を集中していると、気持ちの悪さがさすがに限界に近づいてきた。さらに痛みまでもが意識を食い荒らしてくる。
「まだ何もしていないだろう、恐怖でおかしくなったか」
 男のひとりが声をかけてきた。しっかりとした身なりだ、位の高い人物なんだろう。こんなことをしているなんてろくでもない奴だ。
 全身の神経回路をものすごい勢いで走り、痛覚を摩擦していくおぞましい感覚。苦しい、痛い。
 痛い、痛い、痛い。
 痛みが限界点を突破してしまい、意識が狂ってしまったのか、気づいたら自分を捕らえていたはずのあの屈強な男を殴り飛ばしていた。何とか解放される。
 あまりの痛さにおかしくなっている。私はどうしてしまったんだろう?  足元に殺されたらしい兵士が持っていた槍が転がっていた。それを拾い上げる。目の前には国王様とあの男しかいない。槍なんて持ったところでどうしようというんだろう?  しかしこの国王様は偽者だ。本物のはずがない。確信できる。デグラマリアだ。
 ならば自分が始末してもいい?
 そうすれば本物は開放され、国のためにもいい。
「にせもの……」
 自分でもこっけいに思えるほどの嗄れ声でそれだけ言った。自分の声とは思えなかった。
 そもそも自分は何をしているんだろう?  分からない。
 痛い。
 痛みのせいで幻覚すら見えてきた。自分の身体が光っている。ああ、だんだん気持ちよくなってきた。死ぬのかもしれない。
「ふん、妙な術を使うんだな。それでどうしようというのだ?」
 男がまさかの術紡ぎを止め、そう声をかけてきた。
「術を使い私たちを殴るとでも言うのか? そんなことをすれば貴様は牢屋入りだ」
「いつ私が詠唱をした? 詠唱を行わないで発生させるすべは持たない。勘違いですよ」
「じゃあ今貴様がまとっている光は何だ?」
「幻覚だと思ったけど違うんだ……」
 左手に拾った槍を持ったまま、にせものとあの男に近づく。
 あと数歩というところで、突然目の前が青白く、昼間より強い光で視界が塗りつぶされた。
 意識の遮断か、いよいよだめかと槍を杖のようにして立つ。
 眼くらましのような光がさったあと、そこにあったものはおかしな空間だった。
 にせものの姿が消えている。
「おい貴様何をした」
「全身が……死ぬほど痛くて……分からない」
「ここに国王様がいたのは知っているだろう? 貴様の身体が光って、視力が戻ったら消えていた。貴様の仕業だ」
「そんなの分からない、分からない、国王様ーっ!!」
 突き出した槍を持つ腕に、細い糸のような虹色の光が肌を突き抜けるように幾重にも絡まっている。幻覚じゃないとしたら、これは一体?  これがきっと肌を突き破ってこうして出てきているから痛いんじゃないかと思う。
 男は静かに何かを唱えている。とても術を発生させている言語数とは思えない短さで、こちらに何らかの術を放ってきた。
 濃厚な黒い気配が私に押し寄せてきては息を吹きかけられたろうそくの炎のように消えていく。
「効かない……何者だ」
「国王様のお住まいのために日々力を尽くす侍女の一人です」
「このような人体兵器を開発しているという話も聞かないが」
「デグラード以外に私を倒すすべはないんですか?」
「何故貴様デグラードを知っている」
「給仕の仕事の合間にたまたまその発表があるとき近くにいたもので、デグラードと名づけられた儀術の存在は知っている」
「デグラードの存在とこの状況のつながりの根拠は?」
「何ていっているか分からない、それに気持ち悪い、とにかく気持ち悪い」
「気持ち悪い? 訳の分からないことを言う」
 男は皮肉気に笑った。
 デグラードが全てに関わっているとしたら、この気持ち悪さ、それがすべてを証明する事になる。
 気づけば足元に転がっていた兵士たちも、あの殴り飛ばした男も消えている。
 この場にいるのは私とこの男だけらしい。どこへ消えたのか?
「おい小娘、否化け物、命が惜しくばこの場から逃がしてやろう。ただし余計なことをしゃべろうものならその命はない」
「じゃあ、何も言わないから名前だけでも教えて」
「……アルヴェイ・ターナー・クラインだ。ならば私はこれで帰ろう」
 ぼんやりとする意識は、きびすを返して城内に帰っていく男を追いかけようとは働きかけてこなかった。
 そのまま私はぷつりと切ったかのように、意識を失い、その場に倒れこんだ。

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