第四話 太陽色のオレンジ


 長らくの雨もやっと止み、穏やかさの戻るはずの王都を満たす、肌に突き刺す空気。実りの季節を前に、ここ最近の降水は凶と出るだろう。それくらいひどい雨だった。もっぱらどこまで降っているか分からないが、影響は計り知れない。全てが雨に流され、街も活気を失ってしまったのか、人や情報、物流など全てが滞っていた。
 あれ以来ろくな食料も得られず、おかげでどうもやつれた感が否めない。ルイアス島を囲む海まで荒れてしまい、外からの食料の調達すら困難になっていた。穀物や野菜果物、肉類などは海をまたいだ隣の領地から運ばれてくる。空輸はさまざまな制限の関係で限度があった。
 今日は隣街まで買い出しに行こうと外に出た。どこまでの範囲で雨が降っていたかは分からないけれど、浅瀬続きの向こうの陸にある街なら希望がある。
 いつも通り空を翔る術を使い、地を発った。建物の上ギリギリを飛行しながら街の様子を見てみるけれど、前の活気はどこへ行ったのか、寂れて何もない街に見えた。一部は火事の傷跡を残しており、非日常的だった。長雨のせいで処理も追いつかず、そのまま放置された家々も少なくはない。街の外周にある家々は洪水で壊れている所もあり、当て木のされた建物がいくつも見えた。街路樹も枝は折れ、花々は全部流れてしまっている。あんなにいきいきとしていたのに、この街は。
 人はいるけれど活気がない。心なしか歩いている人たちの背中も気温のせいもあって丸まっているようだった。

 いくつか浅瀬を越え、浜辺の街・スールスへと到着。  ここは大きな港があるからありとあらゆるものが手に入る。また、ルイアス本島と違って陸地が広いので、作物だけにとどまらず、木製家具などの多くの雑貨や生活用品が生産されており、様々なものが王都に届けられている。
 適当に商店街の通りに降り、早速品物を見た。この街は活気に溢れている、まるで雨の前のルイアス。街のありとあらゆるところから漂ってくる、実りの香り。できるだけたくさん買って帰りたい。安くていい品はないかと探しながら歩いていると。
「メリル?」
 背後から呼び止められて振り返ると、そこには長い髪を胸元で束ねた、ちょっと懐かしい見覚えのある姿。学術施設群在籍中のクラスメイトであり、ライバルだった子、ラーシャ。どっちが一番だの優秀だのと言い合ってたのが昨日の事みたいに思い出される。
 ところが彼女はこんなところを一人で歩いているような身分でない、現在は。
「あれ、ラーシャ、何やってんの?」
「買い出しよ。暇だからついてきちゃった」
「国王様の侍女のくせに、いいの? 仕事は?」
「今国王様、海外に行ってらっしゃるわ。暇なのよ。私はお留守番」
「ついて行かないんだ」
「今回はね」
 あそこで一息つこう、と新鮮な果物を絞ったジュースを出している店に向かい、並べられた椅子に座った。
「ちょっと聞いて。明日アカデミアでしょ? あんたも去年までは参加してた、あれ」
「そういやそういう時期か。早いなぁ、もう一年だなんて信じられない」
「今回異例の国王様不在での開催なのよ。ありえないと思わない? 開催に踏み切った委員会何考えてんのよ……国王様もよく分からない理由で五日ほど前からシャルロットまで視察って」
「何か事情があるんじゃ?」
「私のほうまで話は回ってきてないわ。まあ、それが信じられなくて、すっきりしたくてここに来てるの」
「なるほど、そういうこと」
「来賓の方々のお食事用の食材を調達するっていうから、空輸隊についてきたの。私は仕入れが終わるまで自由行動だけどね」
「あのさ」
「何?」
「火事とか雨とか、一体なんなの? それだけでもおかしいのに国王様突然の外出、そしてアカデミア、ルイアスどうしちゃったの? けんかも何度か見かけたし、絶対治安悪くなってる」
「それが分かったら苦労しないわよ、火事と長雨はこっちも頭痛めてる、原因分からないんだから。都民も不安がってるし」
「アカデミアか……去年まで参加してたのに、それに参加できないと思うと、それも憂鬱だよ。あーあどうしてこうなった」
「ドジだからいけないのよ。あれだけ優秀だった人間が街の食堂で働いてるなんて、驚く人絶対多いわ」
「あーだめ思い出してだるくなってきた。とりあえずそろそろ次の試験に向けて本腰入れなくちゃ、まだあきらめてないから」
「余裕でしょ? 教授たちもメリルなら通らないわけがないって言ってたじゃない」
「まあね」
 あれは今年の冬、王立研究所の研究員になるために試験を受けに行くところ、うっかり寝坊して焦って家を飛び出した私は、会場へ向かう途中足を滑らせて大水路に落ち、そのまま流されて命に別状はないものの、水難事故にあったのだ。
 お国柄水路には柵など設けられてないが、あの時はそれを本当に恨んだ。
 当然遅刻。時間厳守の試験だったため、受けずして落ちた。教授達は驚いてはいたが、励ましてくれた、残念そうな顔で。悔しいのはこっちだというのに。悪いのは寝坊した自分だから、深く反省した。
  そして数ヵ月後、異例の就職先が食堂という、主席卒業者になった。研究者になる以外何も考えてなかった末の自業自得。食堂で働きながらまた試験を受ける予定で自習中。
「アカデミアか、行きたいなぁ。あの雰囲気が恋しい」
「三年参加してたものね、研究者達にも覚えられてたし」
「一応今年の試験のために行きたいんだけど、あれって招待制じゃん? 学園の伝もなくなった今、手段がない」
「じゃああんた、給仕として来なさいよ。いつも人手不足って嘆いてたし、ここは私が話をつけるわ。それにあんたの勤めてた食堂、焼けてるでしょ? つまりあんたは今無職」
「た、たしかに無職だよ。何その強引な……まあ、忙しそうなのは確かに覚えてる」
「歴代一族で王城で働いてるアイユタルス家を舐めないでほしいわね。このあと一緒にお城に来なさい、どうせ暇なんでしょ? 仕事ないんだから。給仕するついでに侍女になっちゃいなさい。体力馬鹿のあんたなら余裕でしょ? 宿舎もなんなら使えるわよ」
「うん、じゃあ、行く」
 グラスに注がれた濃厚なマンゴーのジュースを飲み干す。とても甘くて、心も満たされるようだった。何でもないこの素朴なおいしさが、とてもうれしい。

 あれから数時間二人で街を見回りながら過ごした。
 帰るという時間になり、ラーシャに連れられ行き着いた先には、天馬が四頭と大きな荷馬車があった。十人ほどの近侍に四人の兵士。彼らは荷物を落ちないように紐でくくっていた。天馬なんてお城にしかいないから珍しくて、こんなに近くで見れて何だか嬉しい。真っ白なたてがみが風で揺れている。
 荷馬車にはたくさんの食料が積み込まれていた。辺りに果物のいい匂いが漂っていた。お腹空いたなあ。
「行きましょう」
 ラーシャのお連れの部下達が一斉に飛行術を使い、天馬と共に空へと駆け出した。私もそれについて地を発つ。
「馬車乗らないんだ」
「そんな事したらお荷物が増えるでしょ?」
「以外と優しいんだね」
「当然よ!」
 勝ち気な性格の中に見せる気遣いや優しさ、私はそんなラーシャが憎めなかった。
 きれいな花の咲き乱れるお城の裏庭。浅い水路に浮き草、咲き乱れる花々は金平糖がこぼれたみたい。ほんわりとお花の匂いが漂っている。天馬の馬車と共に芝生に着地する。間もなくしてお連れの人たちが荷物を下ろし始めた。ついうっかり手伝いそうになるが、ラーシャに手を握られる。
「私達はお城の中に戻ります、ご苦労さま。わがままで付き添ってごめんね」
「いいえ、かまいませんよ。お疲れ様ですラーシャ様」
 使用人たちから荷物を受け取り、ラーシャについて歩く。石造りの戸を越えると、真っ白な大理石の壁が続いていた。
「うわ、お城だ、アカデミアぶりぃ!」
「やめなさい、庶民丸出しよ」
「えー、だってお城だよ? あ、そっか、住み込みなんだっけ。すごいなあ、お城に住み込み。じゃあ庭みたいなものか」
「小さいころからなじみがあるから感動はないわね」
「ところで、何するの? 給仕なら食堂でちょっとだけやったことある」
「あれ、キッチン担当?」
「うん。儀術で料理の手伝いをしてたんだ。なんでも出来がよくて効率的で何とかこうとかって言われてそのまま。料理のメイン部分じゃないけど」
「まあ、珍しいことではないわね。あんたみたいな人がやると、すごそう」
「燃料費ほとんどかからなくなったって。もっと広まれば全体の費用削減になりそうだよね」
 連れられて歩いていると、廊下の奥の扉の前で立ち止まった。
「主にお城の生活面を担当する一般侍女の部屋よ、休憩室」
 ラーシャがノックして一声かけ、扉の奥へ。それについて中に入る。統一された服装の女性達が、そこには十人ほどいた。
 失礼します、とお辞儀をすると、その中に、見た事のある姿の女の子がいた。服装こそ違えど、髪形や顔立ちは一緒だ。
「マーレ!?」
 ぽかんとお互い見つめあうと、横からお知り合いですか、と声が聞こえる。
「あ、えっと、侍女?」
「はい」
 まさかお城の侍女だったなんて。いやでも一介の侍女が夜中に剣を振り回して戦ったりするかな? 謎が多すぎる。
「あら、知り合いいたのね。よかったじゃない。皆さん、今日から王宮で一般侍女として働くことになったメリルです。よろしくお願いします。」
「ラーシャ様が連れてらっしゃるなんてエリートなのね」
「この子本当はここにいるような人じゃないんだけど、訳あって無職なのです。多少こき使っても平気な体力もってますから、どんどん仕事を与えてくださいね」
「あらあら、頼もしいね」
 和やかな笑いで部屋が満たされる。さまざまな年齢の女性達と、そこに混ざるマーレ。どんな仕事をするのかな?
「メリル、とりあえず試験までここで働いてなさい、どうしようもないでしょ? 家から勤めでも宿舎でもどっちいいし、ちゃんとお給料も出すわよ。悪い案じゃないと思うわ」
「はは、実は無職なことに負い目があったから、助かるよ、ありがとう、皆さんよろしくお願いします」
 みんなとよろしくと挨拶を交し合っていると、ひときわ体格のいいリーダーみたいな侍女さんが、服をもってきた。
「体に合うか分からないけれど、とりあえずあまってるの、これあるから着てなさい」
 渡された服を広げると、そこにいる侍女たちの着ているものとは違ったものだった。スカートではなくパンツだ。動きやすそうだからこっちの方がよくてほっとする。どう見ても男物だけれど、むしろそっちの方が好都合。
「さあ、さっさと着替えたら仕事教えるわよ。明日からアカデミアって言う大仕事があるんだからね」
「は、はい」
 更衣室を案内され、そこでもそもそと着替える。

 それにしても突然だ。たまたまスールスまで買出しに行ったら、そこで級友だったラーシャとばったり出会い、アカデミアに行きたいと言ったら、給仕という形で突然お城の侍女として働くことになったなんて。無職だからちょうどよかった。それにマーレとこんなところで再会するなんて。けっこう嬉しかったりする。
「メリル、また会えてよかったです」
「うん、これからよろしく!」
 ざっと見た感じ、年齢はまばらで近そうな人はマーレともう一人くらい。
 侍女になったとはいえ、第一目的はアカデミアに参加することだ。今回は参加というより世話係だから、働きながら話を聞く必要がある。
 驚かれるだろうな、自分がこの姿で参加していることに。まあ、ひっそりとしていよう。
「じゃあ、私は戻ります。明日のアカデミアのこと、よろしくお願いします。メリル、がんばるのよ」
「あ、ありがと、がんばるよ」
「期待してるわ」
 ラーシャは手をぱたぱたとふって部屋から出て行った。卒業してからまだ一年も経ってないけれど、元から気品があった立ち振る舞いにさらに磨きがかかっており、別人のようだった。自分とは大違いだ。
 アカデミアでの仕事の話を聞きながら細かな準備をする事数時間。まずは明日やる事をがんばりなさいといわれ、そうすることにした。作業内容は主にお給仕で、飲み物や会食の料理の運搬、片付け・掃除だった。
 アカデミアには三百人以上の参加者が訪れ、三日間に渡るため、十人そこそこでは激務だ。
 一旦家に帰ることにした私は着替えた。また明日朝来る。少し早起きだ。
 おつかれさまと挨拶し部屋を去る時、はたとマーレと目があった。ぽかんとこちらを見つめている。何か言いた気な様子ではなかったので、そのまま手を振って部屋を後にした。
 にしてもホントにお城の子だとは思わなかった。あそこにいるということは、一般侍女でも社会的地位は上のほう。お城勤めというだけで内容に関係なく身分は高い。お嬢様だ。

 今日は収穫が多かった、それに久々に級友と会えて嬉しかった。こんな嬉しい気持ちになったのも久しぶりだなあ。ここのところ散々な目にあって体調もよくないし、気分は沈みがちだった。
 夕闇に染められた街並を歩く人々、止んだ雨。それは以前の光景に近かった。だけどどことなく漂う寂しさ。時折見かける変わった服装の人たちは、アカデミアに参加するために外の街や国から来ている人たちだろう。明日会場で出会えるかも知れないと思うとわくわくする。

「ただいま」
「遅かったじゃない」
 ひょっこりと台所からお母さんが顔を出した。居間では仕事帰りのマヤ姉が趣味のレース編みを作っている。
「いろいろ買ってきたよ」
 大袋二つをテーブルの上に置き、中身を出す。ころんとリンゴが転がってきた。
「あとさ、お城に行ってきた」
「何でまた?」
「ラーシャの誘いでちょっとね」
「ああ、あのアイユタルス家のお嬢様ね。元気だったかい?」
「うん、普通に元気。でさ、突然だけど」
 早速料理を始めるお母さんの背中に話しかける。包丁の軽快な音にあわせて。
「お城で働くことになったんだ。人手が足りないらしくて、ラーシャに言われて明日から働くことになった。ちょっと早起きだからちゃんと起こしてね!」
「働くって、何をするの?」
「兵士にでも勧誘されたの? メリルならないことはないわ」
「ただの侍女だよ、試験うけるまでのつなぎにいるようにって」
「侍女って世襲制だったりその血縁だったり、あまり外部から新しい人入れないんじゃなかったかい?」
「普通そうだと思う。アイユタルス家の特権を使ってなれた。すごくない?」
「本当ね」
「でも、私がやりたいのは研究者だから、ずっとやるわけじゃないし」
「何にせようれしいわね」  二人ともうれしそうだった。こんな笑顔を見るの、どれくらいぶりだろう?あの火事以来だ。自分も嬉しくなった。

 深夜。無職とはいえこっそりと続けている自主研究のための読書をしていた。
 最上級儀術者でもない限り、研究や実験が許可されているのが学術施設群に在籍している場合のみと限られているため、自分は研究中だと公に言えないのだ。読書のみでとどめており、メモもせずただ頭の中で思いついた事を練るだけの研究。
 術式ランプの十分な明かりがあるとはいえ、さすがに疲れた。目を閉じながら考える。火事や雨、侍女の仕事、マーレ、追われていた謎の女の子、明日のアカデミア。
 ずいぶんと使い込んだ上級理論書のページをめくりながら、ここ数日間の記憶を辿る。  様々な景色を負っているうちに、視界は夢の世界を泳いでいた。

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